【禁煙ログ】#3 社会への貢献度と実生活での扱い

 

もうほぼ2年ぶりになりますが、禁煙ログシリーズを再開します。

というのも、またタバコが値上がりするじゃないですか。

このニュースを見て当時の気持ちがぶり返してきました。

ということで、記憶をたどって記録するスタイルで書いていきます。

 

 

紙巻タバコからVAPEに完全移行したぼくは、クソ高くなったタバコにお金を払うことはなくなりました。

タバコの値上がりなど、もはや関係のない話ではあります。

しかし、だからといって高みの見物を決め込んでいるわけではありません。

ぼくにとって「タバコの値上がり」は、禁煙成功を後押しする大きなきっかけでした。

一方でニコチン依存は絶賛継続中ですし、個人的にいろいろと思うところがあります。

やはり他人事ではないように感じているのです。

 

 

ジリジリと生殺しするかのごとく税金を搾り取ろうとする、そんな国のやり方に憤りを覚えている人も少なくないでしょう。

でもちょっと考えてみてください。

タバコを通じて支払った自分のお金が誰かのためになり、それが少しでも国を支えるのなら素晴らしいじゃないですか。

これは当時から思っていたことです。

 

たとえば「喫煙者A」と「非喫煙者B」がいたとして、両者の収入や生活水準がまったく同じだったとしましょう。

多くの税金を国に納めている喫煙者Aは、非喫煙者Bよりも社会に貢献していると考えられるわけです。

屁理屈でしかないのかもしれませんが、より多くの税金を払うこと自体を一概にネガティブに考えるべきではないのです。

 

 

ただ、問題はここからです。

駅の喫煙所は次々に撤去されていきました。

これまで「分煙」だった飲食店内は、「全面禁煙」へと変わりました。

会社のなかにある喫煙スペースは、遠いところに追いやられました。

その貢献度に反するように、社会は喫煙者を受け入れてくれないのです。

 

 

ここに大きな齟齬が生じるわけです。

「納税」というわかりやすい社会貢献など最初からなかったかのように、実生活では受容も許容もされません。

もちろん、少なからず迷惑をかけていることは自覚していました。

タバコの煙や吸殻から発せられる刺激臭や、喫煙によるヤニ汚れなど、タバコを吸わない人からすれば害悪でしかありません。

「嫌煙」という言葉を目にすることも多くなり、喫煙者としては肩身のせまい思いをすることが増えていきました。

その立場はどんどん不利になっていくのに、タバコの値段はぐんぐんあがっていくのです。

 

 

そんで。

隅っこに追いやられていくにつれて、喫煙者でいるのがめんどくさくなっちゃったんですよね。

悪いことではないとはいえ、余計な税金を払うのも馬鹿らしくなってきました。

だったら、VAPEだけで済ませておこうかなと思ったわけです。

 

VAPEにすることで肩身のせまい思いをしなくなるわけじゃないのですが、コストが大幅に下がることは見込めました。

どうせ吸う場所が制限されるのなら、出費くらいはおさえておこうと考えたのです。

ニコチンなしで吸うにしてもぼく自身はVAPEを楽しめたので、「これでいこう!」と振り切ることができました。

 

なので、禁煙に成功した要因としては、気持ちの変化が大きかったのかもしれませんね。

ニコチン依存や喫煙習慣そのものは今となってもなかなか変えられていませんが、精神的な面ではコロっと変わることができました。

結果、紙巻きタバコから脱却することができました。

めんどくさがりな性格が功を奏したといえるでしょう。

 

上手くまとめることができませんでしたが、今回はここまで。

以上、バイバイ。

 

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